フラフープブームを消し去ったとんでもない事故とは

昭和33(1958)年10月から、ほんの2か月たらずの間だけブームになった遊びがある。「フラフープ」である。


フラフープは、前年にオーストラリアで考案された遊びで、直径90センチぼどの輪を、腰でタイミングをとりながらクルクルまわすもの。アメリカに渡って大流行した後、日本でも、アメリカのフラフープーブームが報道され、発売を開始した。


最初に発売したデパートでは、発売日、開店から2時間で1000本すべてが売り切れ。すさまじいブームとなり、整理券を発行する店まであらわれるほどだった。


それはどのブームだったのに、フラフープは、11月下旬には早くも下火になり、12月にはまったく売れなくなった。下火になったきっかけば、フラフープに熱中したあまりの事故が起きたからである。


「フラフープ遊びで少年、胃が破れる」


11月のある日、新聞にそんな記事が載り、その後も熱中しすぎたあまりに胃が破れたり、腸捻転を起こすという事故が相次いだ。また、輪の継ぎ目のビニールテープがはずれて目を突くという事故も起こった。


それで、フラフープ遊びに制限をくわえる小学校などもあらわれ、ブームはたちまちのうちに去っていったのだった。

 

静岡県がなぜお茶の名産地になったのか

「越すに越されぬ大井川」と歌われ、江戸時代の交通の要所となった大井川。

 

これが静岡県のお茶栽培の発展のもとになった、といったらちょっと奇異な感じがするでしょうか。

 

この大井川が「越すに越されが八〇〇間(約一四五匹メートル)で、両側の金谷宿と島田宿には川会所があり、川越えに従事する者は川越え人足、雑役夫合わせて八〇〇人ほどいたと書れています。

 

十返舎一九の『東海道中膝栗大井川では川越え人足のわきの下よりも水深が深くなると、川止めとされ、川の水が引くまでどちらかの宿で待たなくてはなりませんでした。

 

このことは旅をする人間にとってはまことに難儀なことであり、また川越え人足の中にはタチのよくない者もおり、この川越えは江戸時代の旅の泣きどころでした。

 

この大井川の川越え制度も明治の新時代になると、その前近代性が改められ、明治四年には人足による川越えが廃止され、渡し船が登場します。

大井川に渡し船が使われると、当然、失業するのは800人におよぶ川越え人足たちです

が、この人たちは皆茶の栽培に転業しました。 ここに静岡県のお茶産業の基ができ上がったわけです。

 

川越え制度の転換が別の産業の発展を促す。なにやら「風が吹けば桶屋がもうかる」を地でいったようでおかしい話です。

 

クジラがしおをふくのはなぜ

海にすむ動物は、貝類や甲殻類(エビ、力士、頭足類(イ力、タコ)、それに魚類など、ほとんどのものが海水を呼吸してそのなかの酸素を取り入れています。

 

しかし、クジラやイルカは、私たち人類と同様、哺乳類に属しているので、海面で空気を呼吸しなければなりません。つまり、えら呼吸ではなく肺呼吸を行うわけです。

しおをよく”という現象を、体内から海水をよき出すかのようにいう人もいますが、それは誤りです。

 

クジラがしおをふくのは、・吸った空気を鼻孔(背中前方にある)から吐き出すときに、背中にたまっている海水が、いっしょに誘い上げられることから起きる現象なのです。

 

クジラの背中にある鼻孔は、海中に潜るときは、きちんとしまるようになっています。つまり、呼吸をとめて潜るわけです。そして、息が苦しくなると、海面に出てきて空気を吐き出すのです。

 

背中に海水かたよっている、と述べましたが、それはクジラの鼻孔が少しくぼんだようになっているためです。しかし、その量は、そんなに多いものではありません。

それでは、なぜあんなにも、多量の水を噴き上げたようにいく見えるのでしょうか。

 

それは、クジラが人問とおなじ定温動物であるからです。

定温動物とは、外気の唇さ寒さに関係なく、いつも決まった体温を保っている動物です。 クジラの体温は、常に三八度あります。そのため、海上の空気が冷たい場合、大きく呼吸をすると、吐いた息が白くなるわけです。

 

寒い朝、私たち・がパーツと息を吐くと、白く見えるのと同じことです。

 

 

パチンコのチューリップの発明者は

パチンコ台の仕掛けを考え出す人を「ヤクモノ師」といいます。あのチューリップを考え出しだのは、大阪のヤクモノ師、鴫尾辰三という人でした。

チューリップの発明は、パチンコ業界を一挙に活況に導いた画期的なものでした。嶋尾氏の考えたチューリップは数秒間だけ開いて、次の玉が入らなくても閉じてしまうものでしたが、次の王が入るまで閉じないように改良され、大流行したのです。

 

金も払わないのになぜ「買って出る」

この語源は、かけ事にあります。賭博の花札は、四人以上でやるときには、一人が場をおりなければなりません。ところが勝負の状況によっては、どうしても続けたいときがあります。

こんなとき、その人はかけを続ける権利を得るため、おりる相手に相応の金を支払ったのです。ここから転じて、「この役おれが買った」「そのけんか買おうじやないか」などの刷法がうまれました。

 

 

 

 

 

土俵はなぜ丸い

土俵の起源は、織田毎長の時代、大正の半ばごろといわれます。といっても、現在のような土俵はなく、相撲場のまわりを力士が囲んで、その人垣の中で相手を押し倒せば勝ちというものでした。このまわりを囲んだ力土を「大方屋」といいます。

この人方屋が俵を並べた土俵に変わったのは、江戸時代のことです。人垣のかわりに、五斗俵を円形に並べて置いたのです。

 

土俵にはなにかが埋められているのか

大相撲の行事の一つに土俵祭があります。本場所初日の前日に、事故や災難にみまわれることなく、場所がとどこおりなく行われるよう祈願する祭りです。

 

この土俵祭の中で、「縁起物鎮め」と呼ばれる行事があります。まず、土俵の中央に穴を掘って御神酒をそそぎ、この穴実、するめを埋めるのです。これらの縁起物は場所中ずっと埋められています。

 

相撲はなぜ国技だといわれる

相撲が国技だといわれるようになったのは、明治四二年二九〇九年)に最初の常設館である国技館が完成して以来のことです。

 

この常設館の建設にあたって、その名称を決めるのに議論百出したのですが、元大関の大戸平広告が開館あいさつ文の「そもそも相撲は日本の国技なり」にヒントを得て、「国技館」の名を提案したのです。以来、相撲が日本の国技であるという認識が広まったのです。

 

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鉄筋にはさびた鉄でも大丈夫?

ビルの工事現場などで、まっ赤にさびた鉄材を鉄筋に使っているのをよく見かけます。さびた鉄でも大丈夫なのでしょうか。

 

さびは鉄が酸化することによって生じます。ところが、鉄筋ヘニーニここでLそ一丁二しアルカリ性なので、コンクリートの中で鉄の酸化が進行する心配はありません。

 

鉄材の表面が多少さびていても、さびが内部にまで進むことはないので、鉄筋の強度をそこなうおそれはまったくありません。

「閑さや岩にしみ入蝉の声」のセミは何ゼミ?

芭蕉の有名な句です。

 

このセミはニイニイゼミであるというのが定説になっています。

 

 

この句は、山形市郊外の立石寺で、元禄二年旧暦五月二七日によまれたものです。新暦でいえば、七月コニ日です。

 

この時期と場所から推定すると、このセミはニイニイゼミと考えてほぽ間違いないということです。