土俵はなぜ丸い

土俵の起源は、織田毎長の時代、大正の半ばごろといわれます。といっても、現在のような土俵はなく、相撲場のまわりを力士が囲んで、その人垣の中で相手を押し倒せば勝ちというものでした。このまわりを囲んだ力土を「大方屋」といいます。

この人方屋が俵を並べた土俵に変わったのは、江戸時代のことです。人垣のかわりに、五斗俵を円形に並べて置いたのです。

 

土俵にはなにかが埋められているのか

大相撲の行事の一つに土俵祭があります。本場所初日の前日に、事故や災難にみまわれることなく、場所がとどこおりなく行われるよう祈願する祭りです。

 

この土俵祭の中で、「縁起物鎮め」と呼ばれる行事があります。まず、土俵の中央に穴を掘って御神酒をそそぎ、この穴実、するめを埋めるのです。これらの縁起物は場所中ずっと埋められています。

 

相撲はなぜ国技だといわれる

相撲が国技だといわれるようになったのは、明治四二年二九〇九年)に最初の常設館である国技館が完成して以来のことです。

 

この常設館の建設にあたって、その名称を決めるのに議論百出したのですが、元大関の大戸平広告が開館あいさつ文の「そもそも相撲は日本の国技なり」にヒントを得て、「国技館」の名を提案したのです。以来、相撲が日本の国技であるという認識が広まったのです。