宮本武蔵の「ムサシ」の由来は

天下の剣豪・二刀流の宮本武蔵といえば小説、映画、テレビですっかりおなじみですが、この武蔵という名前、最初は「無三四」と書いていました。

「無三四」とは、武蔵の父が「無二斎」、つまり、天下に自分ほどの武士は二人といないという意味の名前をつけたところからきています。父親が大下に無二なら自分は無三四というわけです。

 

ずいぷんと人をくった名前ですが、この名前から感じるには武蔵の少年時代は自信家で、騎慢な性格だったようです。

 

武蔵が生きていた117世紀前半は、関ヶ原の戦い大坂の陣などの天下を分けあっての戦乱がまき起こり、武芸に秀でた者が諸岡から引っぱりだこになっていました。

そして武芸者も自分をより高く買ってくれ亙崔い主を求めて諸国を歩いていました。自己PKが大事な売りこみの要素だったのです。

 

武蔵も自己PRのために「無三四」などという名前を考えたのでしょう。

「無三四」から「武蔵」になった時期は不明ですが、故郷の美さかのこさものしよ’。

作国古野郡讃母庄(現在の岡山県)を離れ、鴻国を巡り歩いアいるうちに、字音が通じることから「無三四」が「武蔵」になったのです。

 

なお、吉川莫治の小説では、この武蔵にを「タケソウ」と読み、これを武蔵の幼名としていますが、これは誤りで、幼名は「七之助」というのがほんとうです。

 

後の武蔵、七之助は、二一歳で最初の武芸試合をして相手を倒しているといいますか、やはり天下に「無三四」の天才だったようです。