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静岡県がなぜお茶の名産地になったのか

「越すに越されぬ大井川」と歌われ、江戸時代の交通の要所となった大井川。

 

これが静岡県のお茶栽培の発展のもとになった、といったらちょっと奇異な感じがするでしょうか。

 

この大井川が「越すに越されが八〇〇間(約一四五匹メートル)で、両側の金谷宿と島田宿には川会所があり、川越えに従事する者は川越え人足、雑役夫合わせて八〇〇人ほどいたと書れています。

 

十返舎一九の『東海道中膝栗大井川では川越え人足のわきの下よりも水深が深くなると、川止めとされ、川の水が引くまでどちらかの宿で待たなくてはなりませんでした。

 

このことは旅をする人間にとってはまことに難儀なことであり、また川越え人足の中にはタチのよくない者もおり、この川越えは江戸時代の旅の泣きどころでした。

 

この大井川の川越え制度も明治の新時代になると、その前近代性が改められ、明治四年には人足による川越えが廃止され、渡し船が登場します。

大井川に渡し船が使われると、当然、失業するのは800人におよぶ川越え人足たちです

が、この人たちは皆茶の栽培に転業しました。 ここに静岡県のお茶産業の基ができ上がったわけです。

 

川越え制度の転換が別の産業の発展を促す。なにやら「風が吹けば桶屋がもうかる」を地でいったようでおかしい話です。