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江戸時代も数学のレベルは高かったか

私たちが、いま使用しているのは西洋数学です。エジプトに端を発し、ギリシャをへて、何千年の歴史中から成立してきたものです。

 

ところで、日本には和算という数学がありました。これは、江戸時代の初期にはじまったもので、幕末時代には、西洋数学のレベルに達していたというのです。

 

 

西洋では何千年もかかって、大学者が研究してきた数学ですが、日本ではわずか言○○年足らずの期間に、それも町や村の庶民の間に根をトろし、研究され、高度に発達してきているのです。

 

この江戸時代の数学が、どんれた算額から、よくわかります。「算額」というのは、自分が解いた数学を、順に書いて神仏に掲げるもので、初めは「数字絵馬」といっていました。

順には問題、答え、解き方、幾何学図形、そして、先生と自分の名前などが書かれています。

 

たとえば、京都の八坂神社にあるものは、当時の数学者、長谷川鄭完が掲げたむので、現代数学でいえば、七〇次方程式でものはノ二七桁という大きな数の、二六乗根を出せというもので、横ニメートルもある額いつぱいに計算がしてあります。

 

京都の安井金比羅宮にあるものは、現代数学の等比級数にあたるもので、どうやら子どもが習ったものらしく、四季の数学という題で、わかりやすく出題してあります。

 

日本中には、このような算額が数多く残っていますが、この算額の名前を見ると、鳥居の政松とか、樽尾の平吉とか、柚師(きこり)の文蔵などという素朴な名前が多いのです。

 

いまは西洋数学におされて、の薄くなった和算ですが、江戸時代には実に多くの一般庶民が勉強し、しかも、それが高いレベルに達していたのがよくわかります。