バルチック艦隊が敗れたのは

思い起こします。この二つのハイライト、旅順攻撃が接近戦でジャブの応酬の末ねばり勝ちをしたという印象かおるのに比べ、日本海海戦の場合はスカツとストレートがカウンターで決まったという印象を与えます。それほどに日本海海戦の勝ちっぷりはみごとでした。

 

このことは東郷元帥の奇抜な作戦が功を奏したのですが、あの有名な開戦前の電文「天気晴朗なれども浪高し」の天候も忘れるわけにはいきません。

 

日本海海戦は、明治二八年二九〇五年)五月二七日の朝にはじめられました。この日は

まさに二大気晴朗なれども浪高し」といった天候でしたが、これが前日だったらどうだったでしょうか。

前日の二六日の気象状況を見てみると、遼東半島および九州近海にはそれぞれ低気圧かおり、この二つの低気圧にはさまれた地域、つまり遼東半島、朝鮮、西部口本は雨になっていました。当然、日本海も雨です。

 

それが、低気圧の東進にともない二雨も東へ移勤し、二七日には「天気晴朗」になったのです。しかも、日本海では低気圧通過後には強い西風が吹くのがまわりの悪くなっているところに、小まわりのきく日本艦隊が、バルチック艦隊の横腹目ざして砲撃をしかけ、約五時問でバルチック艦隊は壊滅しました。

 

ニ仁か一天気清談」て々ければ、雨の中の奇襲で成功率が低かったでしょうし、「浪高く」なければ、バルチック艦隊は十の力を出しきったでしょう。そうなれば勝負はどうだったでしょうか。