セーラー服の大きなえりはなんのため

セーラー服はもとは海軍の水兵さんの制服だったのはご存じのとおりです。

 

はじめてセーラー服が着用されるようになったのは、一七世紀のイギリス海軍でのことです。そのころの水兵は、肩の後ろまで髪を伸ばしているのが普通でした。

入浴もままならない艦上生活ですから、長髪は汚れほうだいです。そこで、髪の汚れが服につかないよう、四角い大きな布を後ろにたらしたのがはじまりです。

 

 

庖丁とまないたの起原

中国の古典『荘子』には、牛料理の名人であった丁という人が庖すなわち台所で使っていた肉切刀のこ一とを「庖丁刀」と呼び、それが。転じて、厨子のことを代表して「庖丁」と呼ぶようになったとあります。つまり「庖丁」とは、もともとは料理人をさすことばだったのです。

それが転じて、料理人の持つている刀をさすようになりました。一方、「主な板」は、真魚を料理する板という意味です。

野菜を含めて、副食物のことを「菜」といいますが、その中でほんとうの菜という意味で、魚のことを「真魚」と呼んだのです。魚を骨ごと切るための平らで丈夫な板ということです。

 

 

桐のダンスはなぜ重宝がられる

昔から、ダンスといえば桐が最高級品と相場が決まっています。その理由の第一は、火事に強いことにあります。安政年間二八五四~六〇年)には江戸で大火事が起こりました。

このとき、神田橋前では、山のように持ち出されたダンスや良持が飛び火をかぶり、火の海になるという惨事になりました。

 

このとき、桐でつくられたダンスは、外側はまっ黒に焼け焦げても、中の衣類は無事だったので、その後江戸では桐のダンスが大流行したのです。

桐は内部に細かい空洞をたくさん持っているので、熱伝導が悪く、燃えき出しのスキ間をぴったりと閉ざして中の衣類を守ります。