「勲」と「位」はどう違う
国が勲功・功績のあった人に贈る栄典の一種に「勲等」「位階」があります。勲三等、従四位などと呼ばれているのがそれです。
どちらも歴史が古く、法規も異なりますが、現在のところ「勲等」は原則として生存している功労者に、「位階」は物故された功労者に贈られる栄典と考えればよいようです。
新派の女優初代水谷八重子は生前、勲三等宝冠章を受け、亡くなってから、従四位を贈られました。
「勲等」がいわゆる胸に飾る勲章であるのに対し、「位階」のほうは栄誉の称号のみという違いもあります。
「勲等」には大勲位菊花章頚飾以下、菊花、旭日、宝冠などの種類があります。また等級も、大勲位と一等から八等まであります。
「位階」は、戦前戦後では意味合いも違ってきています。
戦前は、おもに官吏や軍人に贈る身分的なものでしたが、戦後は対象を民間の功労者に広げる一方ご身分的なものではなくなってきています。
現行の「位階」には一位から八位までありますが、それぞれ「正」と「従」があるの
でコハ階になります。
ちなみに、戦後は正一位を贈られた人はなく、吉田茂、佐藤栄作などが従一位を贈られています。
歌舞伎役者はなぜ屋号を持っている
歌舞伎役者が舞台でグッと見えを切る、そうすると、すかさず客席から掛声がかかる、「ナリクヤッ」であり「オトワヤッ」です。
この役者の屋号はいったいどこからきているのでしょうか。
これは江戸時代の身分制度に関係があります。
江戸時代の身分制度というと、まず士農工商というものを思い浮かべるでしょうが、さらにその下にも階層かおり、士農工商の良民と区別され、賎民と呼ばれていました。
役者は、もともとは河原乞食といわれる身分で、あるとき、役者は、はたして良民か賤民かということが問題になりました。
このころの人気役者ともなると、小大名顔まけの経済力を持っていましたが、良民と賤民では身分は大違いです。
幕府はいろいろと協議した結果、役者は良民であると判断しました。さあ、これで喜んだのが役者連中です。
それまで良民だかなんだかわからないまま、劇場付近にかたまって住んでいたのを、天下御免の良民だぞというので競って通りに住みはじめました。
そして江戸時代の法律では、表通りは商家でなくてはならなかったので、団十郎、幸四郎、菊五郎などといった連中は、お于のものの化粧品屋を開いたわけです。
化粧品の他、小間物屋、薬屋を開いた役者もいたということですが、商いには屋号がつきもの。あっという間に、歌舞伎役者の間で屋号で呼ぶことがはやった、ということです。
屋号は役者の良民であることのデモンストレーションであり、ステイタスーシンボルでもあったわけです。